鋳物師の歴史
日本美術鋳造家協会

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(01) 弥生時代前期末(日本人が金属を......) (02) 古墳時代(3世紀頃~6世紀頃)
(03) 飛鳥時代(6世紀頃~645年) -


日本人が金属を使用し始めたのは、

銅矛 弥生時代前期末とされ、稲作文化と共に鉄器・青銅器が中国・朝鮮を経由して北部九州にもたらされたと考えられています。

 農耕に適した土地を求めて、大陸から日本列島へ移住して来た集団の中に、銅戈・銅剣の鋳物師がいて、彼らは博多湾内の多田羅(踏鞴)あたりに住みついたと推測されています。
銅鐸の技術を持った鋳物師達は、朝鮮半島の東海岸から敦賀に上陸して琵琶湖沿いに南下したと考えられています。


 鋳物師達は、銅鉱石を探す為に各地を移動し銅鐸、その際は、作業に必要な道具ばかりでなく、合金に必要な金属、即ち、青銅器鋳造の場合はスズ及び鉛を携帯していたと思われます。
銅鉱石を発見するとその場で精錬して銅を得て、その銅にスズ・鉛を添加して、鋳型に流し込み青銅器を鋳造したと考えられています。

 弥生時代中期なると、小国家が各地に誕生し、後期にはこれらの小国家が統合され、畿内を中心とした大きな政治的出来たために、青銅器の需要が増え、輸入品であった銅剣・銅戈・銅矛などの国内での製作が始まりました。
少し遅れて銅鐸の鋳造も始まり、やがて、西日本各地で鋳造され、文(紋)様が独特の変遷を見せていきました。

遺跡から

○1973年に大阪茨木市の東奈良遺跡で10種の銅鐸用鋳型の石片が出土しました。

○1999年2月に和歌山県御坊市堅田遺跡から青銅製ヤリガンナの鋳型片が見つかりました。
 堅田遺跡は、弥生時代前期(今から約2200年前)に営まれていた環濠集落で、青銅器鋳造工房と見られる掘立柱建物が環濠内に建てられており、土坑をしつらえ、土壌改良を施したうえ、地表面以下に作業場を設け、熔解施設と鋳型を据えた鋳込み施設を併置した最古の状況が復元されています。

古墳時代に続く


参考文献

銅合金着色技術調査研究報告書 発行所 総合鋳物センター

飛鳥の文明開化 大橋 一章著 吉川弘文館

銅の文化史   藤野明    新潮選書

仏像 久野健著 学生社発行

青銅器の考古学 久野邦雄著 学生社

鉄と銅の生産の歴史 

佐々木稔・赤沼英男・神崎勝・五十川伸矢・古瀬清秀共著

雄山閣発行

青銅の神の足跡 谷川健一 小学館ライブラリー

青銅器の製作技術 講談社 古代史発掘 5

鋳物師銘譜 立川三朗著 発売元村田書店

カミと青銅の迷路 松本清張著

鋳物師 内田三朗著 埼玉新聞社

日本の伝統技術と職人 遠藤元男・小口八朗著 槇書店

専門技能と技術 列島の古代史5 岩波書店

日本の仏像史 監修水野敬三郎 美術出版社

鋳造 技術の源流と歴史 石野亨著 株式会社産業技術センター(566.1イ)